なぜ神棚を大切にする会社は繁栄するのか?


《神棚は身近なパワースポット》

パワースポットに行くと、見えない力や、良い気に満ちあふれていて、時には私たちの心を癒し、時には活力を与えてくれることがあります。そんなパワースポットが、あなたの自宅にあり、毎日その力をあやかる事ができたらどうでしょうか?

じつは、「神棚」を祀ることは、家の中にパワースポットを作ることになります。多少の体調不良や気分の悪さなどは、その場所にいれば回復に向かうようになるでしょう。そして、何といっても心が落ち着きます。神棚に良い気が満ちあふれるようになれば、榊やお花が枯れずに長持ちするようになります。また、不思議な事に、お供えした食べ物も美味しく感じられるようになります。

時には、具合が悪くなったり、集中できなくて落ちつかないと感じることもあるかもしれません。運気が悪く、マイナスな気に包まれる時もあるかもしれません。けれども、それも大切なお知らせの1つとなります。特に悪いことが起るようになれば、あなたに気付いてほしい「大切な何か」を知らせてくれているのかもしれません。

そういう場合は、あなたの心や体を見直してみましょう。すると、心や健康、仕事や家庭などにも気をつけることができます。まず、気がつくことが大切です。そして、お知らせを受けることはあなたの幸運の兆しなのです。

神棚を祀ると、なぜこのような事が起きるのでしょうか。それは、(神棚を祀るとは神様を祀るということです。)「神様を祀る」とは、神様をお招きし、おもてなしする事につながっているからです。神棚を祀ることで家庭や会社内に小さな神社ができます。神社に出向いてお参りするのと同じ意味を持つのです。

家に神様を祀るとは、一番効果的にできる身近な開運法なのです。

イラスト(パワースポット神棚拝んでいるところ)

《なぜ成功している会社は神棚を祀っているのか》

自宅の神棚がパワースポットのような力を発揮できるのは、あくまでも家庭という「小さな枠の中」だけです。

しかし、個人と会社組織では違います。会社にはたくさんの人が集まっているからです。(家庭が個人の小さな枠なら、会社はたくさんの人が集まる組織です。個人の集まる「大きな枠」が必要となってきます。)

社員の中には、上手くいっている人もいれば、足をひっぱる人もいるでしょう。会社の利益も一部の人が頑張っても、そうでない人もいたりと様々です。社長一人が凄腕ワンマンでも、残念ながらその成功は長くは続きません。全体的に低迷している会社もあるでしょう。

その一方で、とんとん拍子に物事が上手く行ったり、良いアイデアや運に恵まれる会社もあります。それは、運を味方につけているといえます。じつは、ここには神棚の存在が関係しているのです。

代々、神棚という「形」から入る事で「心」を養ってきた

より大きく繁栄し長く続いている会社は、神棚を置いています。神棚をおいて目に見えるようにすることで、「目に見えないもの」を大切にする心を教えていたのだと思われます。きっと、創業者が社員に信心深いお手本を見せていることでしょう。

神棚を祀るとは、神様に会社を守ってもらおう、社員を守ってもらえるようにするということではないのです。神棚を祀るとは、「神様に守ってもらえるような人になる」「神様に守ってもらえるような会社になる」という姿勢を養うことにつながっているのです。

神棚をつくることで、まず始めに会社の雰囲気や、気の流れが変わってきます。なぜでしょうか?

目に見える範囲にありがたそうなものがあれば、無下にはできません。あえて雑に扱う人もいないでしょう。それが会社の偉い人が大切にしているなら、なおさら大切にしなければという思いが出てきます。

それがいつしか習慣となり、「ありがたそうな物」から「ありがたい物」へと変化していきます。そして、「やらされている」から「やりたい」と思う心へと成長していくことでしょう。いつしかそれは、会社の「命令」から「自分の意思」に変わり、創業者と共感する仕事へと繋がっていくのです。神棚という「形」から入り、目に見えることをすることで、社員の「心」が作られていくのです。

②イラスト(社長の背中から心が飛び出す・・)

「自力」だけでは会社は上手くいかない

ところが、神棚がない会社は、社長や社員の皆様の力を合わせているだけで、「自力」で仕事をしています。もちろん、自力の努力は必要です。けれども、「自力だけで努力すれば、会社は上手くいくか?」というと、そうでもありません。残念ですが、努力さえすれば必ず成功することはいえません。努力していても上手くいかないことはあるのです。会社の力も守りも弱ければ、不運に簡単に影響されてしまいます。

その一方、神棚があると、神様に守られるという「他力」を大きく含むことになります。神棚があるかないかで他力がどのくらいあって、どう守られる力があるのかが関係しているのです。

もしも、他力のある社員がたくさんいたら、目に見えない力が十分に発揮されることでしょう。全体的に社員の質や実力が上がれば、運もよいなら会社は大きくなります。そして繁栄もするでしょう。

上手く行く会社は努力している「自力」の部分と、神様に守られている「他力」の部分があるため、パワーが大きいのです。反対に、上手くいっていない会社は、努力してもこの「他力」の部分が足りていません。この差が大きく出ているのです。

成功や安泰を願うなら、会社やお店や事務所を守るべき神棚で、神様をおまつりします。そうすることで、会社・お店・仕事が上手くいきます。個人を守るのにお守りがあるように、家庭には家庭の神棚、会社では会社の神棚が必要なのです。

③イラスト(成功階段)

成功している経営者ほど「見えない世界」を生かしている

代々長く続いている成功している会社を見ると、神棚を祀っています。奉納をしたり、神様の恩恵をいただく方法を知っているのでしょう。また、「見えない世界を知ろう、生かそう」とアンテナをたてています。

成功する経営者とは、見えないものの力を信じ使っているのではないでしょうか。どうしたら成功するのか、上手く行くのか、良くなるのかと、常に見えない未来を考えています。そして、他の人にはないような、素晴らしい発想やアイデアが出てきます。「できる」と信じているから、見えないものを引き寄せます。だからこそ、人とは違うこと、大きなことができるのでしょう。

④イラスト(社長の見えない世界)

日本の長寿企業は100年200年それ以上にと続く会社には共通して神事、祭事を大切にする」という習慣があるのだそうです。

ここにも、「見えない世界を知ろう、生かそう」とアンテナをたてた経営者がいたことから長く続いてきたと言えます。それは神棚だけではなく、あるとあらゆることを伝統として代々受け継がれてしている風習があります。

神棚を置くことで、神様を敬い、守られながら運をいただきます。また墓を守ることで先祖を大切にし守られ、次の世代の後継を育てます。

⑤イラスト(社長)

現代は、人と同じことをしても成功とはいえず、ライバルに抜かれてしまいます。上手くいっても満足できません。なぜなら、今までの成功法則は、誰もがやってきているからです。ライバルだらけの世の中で成功するのは至難の業なのです。

だからこそ、私は会社に神棚があるかどうかが重要なカギととらえています

起業家の方の相談では、真っ先に「神棚があるかどうか」、そして神棚がある場合は「どんな風にお祀りしているか」を伺います。それは「神様にどのように守られているか」を判断する1つの材料になるからです。

⑥イラスト名刺

企業理念には創業者の「信念」や「志」が込められている

会社の理念とは、企業そのものを表しています。企業理念が全くないという会社は少ないと思います。

企業理念には色々なものがあります。「企業理念」として掲げられているものもあれば、「社是」や「社訓」や「クレド」という場合もあるでしょう。

有名な企業の中には、心を動かされるような社訓や理念が存在します。社訓とは、会社の経営理念や社員が守るべきものを定めたものをいいます。

社是とは、会社の経営上の方針、主張

行動規範とは、会社や社員の行動基準や手本

行動指針とは、会社や社員が取るべき態度や進むべき方向を示したもの

経営理念とは、企業活動を行う際の基本的な考え

社員心得とは、社員が判断を下し行動する際の重要基準

クレド(CREDO)とは、「志」「信条」「理念」「お客への約束」

社会が人に求めるものが、法律やルール、マナーであれば、会社が社員に求めるのが上記のものです。

社訓には、「創業者の言葉」が元になっているというものがあげられます。創業者が会社を興した際には、大きな決意や信念、志や想いがあったと思います。その決意や信念に共感した人が、創業者の下に集まり、仲間や部下となり、会社の最初の形ができていったのです。その会社を形作っていった人々の共有したものが、企業理念になり、「企業そのもの」となったのでしょう。

企業が若い時は、従業員の誰もが企業理念を共有し、同じ方向を向いて働きます。創業者や創業メンバーと一緒に仕事をしたり、話を聴く機会が多く、常に企業理念が業務に結びつき、自然と社内に浸透していきます。

⑦イラスト

ただ読むだけの行為になってしまった企業理念

ところが、多くの企業では事業規模が拡大すると、企業理念を共有する機会が失われます。事業規模拡大や、本来の事業以外や様々な業務が増えることで、企業理念と実際の企業の姿が離れてしまうのです。

また、企業理念への共感が低い社員が入ってくると、さらに薄れていってしまいます。このように、多くの理由により、企業理念は企業の姿を離れた状態になってしまいました。

企業の成長していく上で、企業理念が上手く反映されなくなるのも仕方がないことだと思います。時間の流れ、社会状況の流れで、創業者の想いを感じにくくなってきているのかもしれません。

あなたの会社ではどうでしょうか?

会社の壁に企業理念がホコリをかぶっていることはありませんか?

創業者の想いが共有されずに、企業理念はただ読むだけの行為になっていませんか?

⑧イラスト読んでいるだけ

大切なことを教えられずに育った若者達

なぜこのような事になってしまったのでしょうか?

その根本には、そういう人しか育てきれない創業者が存在しているからです。

もともと日本人は、昔から伝統を大切にする心がありました。

正月には正月を祝う風習がありますが、歳神様を向かいいれ祝うことを知らずにしている人も多いでしょう。年末には寺にいき除夜の鐘を突いて一年の御礼をします。年中行事を大切にして続けています。

このように知らず知らずに神様に手をあわす伝統を守ってきたのです。意味を知っていればもっと良いものに変わっていったことでしょう。次の代に大切な事を伝えられたはずです。

けれども、目に見えない物を大切にすることの大切さや、その意味を伝えずに来てしまったがために、現代では多くの行事が簡略化され、その存在が薄くなってしまいました。そういう人たちが、今の時代の会社の社員となります。大切な事を大人たちに教えられずに、育ってしまいました。古い社訓や理念は通用しないかもしれません。お給料さえもらえばいいという人しか残らないかもしれません。

見えるものに優しくできる人はたくさんいます。でも上っ面の見せかけだけでできる人、器用に立ち回れる人もいます。けれども、それでは誠意ある理念は追求できないのです。

成功している創業者は人を育てることに力を注ぐ

中には、「自分のコピーができればいいのに」と思う創業者も多いことだと思います。

創業者の志があっても、それを共有できる仲間がいなければ、企業の繁栄も成功も上手くいかないからです。(きません。)また、もしも共有できる仲間がいて成功しても、次の担い手が志や想いを共有できなければ、衰退していくでしょう。会社は一人でできるものではありません。より良い仲間、よりよい社員を育てなければ会社を作っても成功しません。また、たとえ成功しても長くは繁栄できないでしょう。

ところが、成功している創業者は、より良い人材に囲まれています。なぜなら、人材を育てることに力を注いでいるからです。社訓や理念やクレドなど、ありとあらゆることを社員に伝え教えているのです。会社を育てるように、より良い人材を育てるのは大切なことです。

よい人材を育てるのも、会社を大きくするのも、利益を上げるのも創業者の手腕でしょう。創業時のように、企業理念を共有できるような社内にすることを大切にし、社員が創業者と同じような夢を持つことができています。創業者の想い志を理解して共感してくれる仲間、社員に囲まれたら会社は成功し長く続きます。

神棚に手を合わせる姿を見せることは、見えないものを大切にする心を教えることにつながります。そして、会社の力となってくれる仲間を育てます。見えないものを大切にする心は究極なのです。

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創業者の神棚への姿勢が “社員” の心を育てる

神棚は置くだけではいけません。神様に手を合わせる「姿」や「心」を社員に見せていく努力が必要です。

まずは神棚を置いて、皆に姿勢や背中を見せることです。創業者が頭を下げている姿はなかなか見えるものではありません。横柄な態度をしていても、神様に頭を下げている姿は信心深さを感じ、「(社長)いいとこあるかも」と誠意が見えると思います。そして神棚を置いている創業者は、悪いことしようとは極力思わないかもしれません。神様イコール悪いことはご法度でしょうから。

そうして誠意ある態度で仕事に望めるなら、社員はより社訓や志を大切にし、力を出してくれるでしょう。

神棚の掃除や水やお供えに携わると、見えないものを大切にする習慣が社員にできてきます。誰も見ていないし、神様に注意されることもありません。(見えないとこは手を抜きやすいものです。)そういう状態を大切にできる環境があれば、自然と社員が育ちます。そして決め細やかな誠意がある社員に育つのです。より創業者の教訓や志や想いを感じ取れる社員となっていきます。

経営層が社員に信頼され、経営層と社員がひとつの目標に向かって一致団結し、一体感が出てきます。そうすることで会社がイキイキしてきて、仕事を楽しめるようになり、社内に熱気や活気が出てきます。こうした会社であれば、経営戦略も着実に実行され、多少の困難や失敗があっても乗り越えて成果を掴むことができるでしょう。

実際には、表面的な社訓を言う創業者の想いも、神棚を置く創業者の想いも変わりはないでしょう。

でも、神棚を置いたほうが、より創業者に共感しやすくなるのです。そして創業者も社員に対して共感しやすくなっていくでしょう。

10イラスト(神棚と社長社員)

《神棚と信教の自由》

神棚を置くとなると、社員の間では「宗教活動では?」と不安を思う人もいるでしょう。ここで気になるのが、「信教の自由」です。「信教の自由」とは、信仰の自由などから構成される宗教に関する人権です。信教の自由は、具体的には以下の内容で構成されています。

内心における信仰の自由→個人が自由に好むところの宗教を信仰する自由(積極的自由)、また特定の宗教の信仰を強制されない自由(消極的自由)。思想・良心の自由の宗教面での保障として捉えられる。特定の宗教を信仰していたり、していなかったりすることによって、いわれのない差別を受けることのない権利をいいます。

宗教的行為の自由→礼拝・布教・宗教活動に参加する自由(積極的自由)、また、特定の宗教の礼拝・布教・宗教活動への参加を強制されない自由(消極的自由)。

宗教上の結社の自由→宗教団体を結社する権利。結社の自由の宗教面での保障として捉えられる。

憲法は、原則として国家に対する要求です。個人を名宛人とするものではありません。政教分離規定も国家の行為を問題とするものです。

会社は個人と同じです。なので、神棚を設置すること自体は個人の自由であり、民法上の不法行為も成立しません。法律で規制すると、逆に信教の自由の侵害になります。

そして、神に祈ることだけが重要ではなくて、社員が心を一つにして同じ方向に向かって誓うことが目的です。

その時に、何処に向かって誓うかと考えた場合、「一番みんなが身近な神にした」というだけなのです。

日本人は無信仰か

日本人には信仰がないとか、神様や仏様を信じていないと思われることもあるでしょう。

いいえ、特別の宗教や形式を選んでいないだけです。決して無信仰ではありません。

日本人は生れたときには、神社へお宮参りに行きます。そして結婚式は教会式や仏式であげ、神父さんやお坊さんに誓いをします。死んだらお寺でお坊さんにお経をあげて、お葬式を挙げてもらいます。他にもクリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、新年を祝います。このように、私たちは生れてから死ぬまで、無信仰ではないのです。

一神教の人たちから見たら、日本人の宗教観はいい加減に感じるかもしれません。でも、日本は八百万の神さまを信じる多神教の民族です。つまり、神様はたくさんなのです。山の神様、田んぼの神様、川の神様、トイレの神様、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきました。神様はいろんなところにいることを知っています。文化や歴史の中で、「これが神様だ」というイメージが固定されていないだけです。

そして私達の暮らしには必ず側に神様はいます。そして知らずに手を合わせているのです。

またキリストでも受け入れる柔軟性が有ると思います。それが世界でも珍しい、日本人の良いところです。

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《手順1:神棚の用意をする》

神棚とは

神棚は家や事務所などにおいて主に神道の神をまつるための棚です。神棚と聞いて想像されるのは、神札をお祀りしているお宮だと思いますが、正確には神棚とはそのお社をのせる棚であり、お社は本来「宮形(みやがた)」と言います。(他にもお宮(みや)とも言われています。)

神棚のはじまり

神棚が現在のように広まったのは、江戸時代初期と云われています。神棚の起源は、『古事記』の一説にある御倉板挙之神(みくらたまのかみ)※1という御頸珠(みくびたま)※2を、天照大御神が倉の棚の上に安置して崇めたことがその原型とされています。

そして、伊勢神宮への信仰を勧めるために、参拝を庶民に広めようと、伊勢御師(おんし)※3が神宮の御神札を全国へ配っていました。その御神札を家庭で祀るお社として誕生したのが、神棚の始まりとされています。神棚は御師たちの手により広められたことで、庶民に定着するようになりました。それから現在に至るまで、多くのご家庭で伊勢の神棚が祀られてまいりました。

※1御倉板挙之神(みくらたまのかみ)倉の棚の上に安置する神。珠に神霊を認めて祀ったことから。

※2御頸珠(みくびたま)は連珠の首飾り。

※3伊勢御師(おんし)はお百姓と神職のあいだの身分で御神札を配りながら伊勢神宮への信仰を全国に勧めたことに関係しているといわれている。

神棚をお祀りする時期

神棚をはじめてお祀りする時期に決まりはありません。

よくある時期としては、

・新しいことが始まる時 …… 新築・新生活・会社開き・事務所開き・増改築・結婚・出産、入学

・厄払いとして     …… 厄年・災い後・世襲(身分・財産・職業などを、嫡系の子孫が代々受け継ぐ)家族間で良く無い出来事が続いたり、病気やケガ等、不幸が重なった事をキッカケに神棚を用意する事もあります。

・感謝のしるし     …… 年祝い・好機に恵まれた(家族に良い事やおめでたいことが続いた時に、感謝の気持ちを込めて神棚をお祀りする場合もあります。 

など、さまざまな時期があります。

でも、「お祀りしてみよう」と感じたその時が、最適の時期でしょう。

神棚を取り替える時期

神棚を取り替える時期もさまざまです。

地方のよって毎年神棚を新しくする場合もありますが、一般的には、5年・10年・15年と5年、節目に合わせて新しい神棚を購入する人もいます。引っ越しをする時など、家具の運び込みと同時に新しく神棚をお祀りすると、「非常に良い」とされています。

一代だけでなく二代・三代と同じ神棚を祀っているところもありますが、神棚は古ければよいとは限りません。

例えば、伊勢神宮の遷宮は20年に一度は新しくしています。新しいキレイな神棚にお祀りするのが良いです。新しくする際は、古い神棚より少し大きめのものにするか、良い造りにする方が良いとされています。

色々な住宅事情で小さくしてしまう人もいますが、神さまが宿る神棚ですので、小さくすると恩恵も小さくしてしまうことになりかねません。神様から見て、「神棚が良くなったな」と喜んでいただける神棚を選んでみましょう。

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神棚の種類

神棚の形も様々で、デザイン的住宅の普及に伴い、デザインを優先したモダンなものや、コンパクトなものもあります。もちろん祀る気持ちが一番大切ですが、できれば神札を大切に思う気持ちを作るためにも、「お社」にしてお参りするのをおすすめします。なにより形から入ることで祀る大切さが増すものです。

神棚としては、伊勢神宮を模した神明造り(しんめいづくり)が一般的です。
細かく分けると、祖先の霊を祀るための御霊舎・神明宮・一社宮・三社宮・箱宮・荒神宮・厨子宮・大黒宮・札宮などあります。

一般的には三種類です。

茅葺神棚(かやぶきかみだな)、屋根が一筋の「通し屋根」型と段差がある「屋根違い」型の板葺神棚(いたぶきかみだな)、屋根を除いた箱宮(はこみや)造です。

1:茅葺神棚(かやぶきかみだな)

伊勢神宮の御正殿と同様の茅葺屋根の神棚は、伊勢ならではの神棚として日本古来より根付いている伝統のカタチです。一社造が基本ですが三社造・五社造などが造られるようになりました。
職人の手により茅を小束に絡げ丹念に切り揃えられた茅葺屋根を好まれる方は多いようです。

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2:板葺神棚(いたぶきかみだな)

木曽桧で造られる板葺神棚が有名ですが、最近では外材 を使用した安価な神棚がホームセンターで販売されるなど 全国的にお祀りされている神棚では、最もよく見かける一般的な神棚です。

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3:箱宮神棚(はこみやかみだな)

北海道や東北地方の寒い地方で、囲炉裏などのすすで社が汚れないようにとできたものと云われています。高さに制限のある場合や、棚板が不必要で壁掛け出来ることが、この神棚の利点です。

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でも、神札の大きさや高さによっては入らない、屋根に引っかかると不具合が出てきます。祀りたい神札の寸法を確かめてから選びましょう。

そして今後、神札が増えることも考え、少し大きめのものを用意するとよいです。

神棚を祀る場所・設置位置

家庭や事務所や会社など屋内に設けられています。

屋外には外宮や鳥居など、記念碑や記念塔などもあります。

家庭では、座敷や居間など「客間・接客の場」にお祀りする場合と、台所などの「生活の場」にお祀りする場合があります。会社では事務所または社員が集まる場所が良いでしょう。

いずれの場合も清らかで明るく、親しみをもって拝礼したりするのに良い場所を選びます。

家庭でも会社でも、もっとも清浄な場を選びましょう。拝みやすく、大人の目線より高いところがいいです。

方向は目の高さ以上の高いところに、南向きあるいは東向きに設けます。東は太陽が昇る方向です。南は日光が最も当たるところです。多くの神社が、南向きか東向きに建てられています。

でも、地理的な状況や住宅事情で、適切な場所へお祀りすることが困難なこともあります。それでも毎日のお参りや神様を大切に思う心が大切です。「できれば」でいいのです。

でも、人が出入りする扉の上やトイレと背中合わせになる場所、神棚と仏壇が同じ部屋で向かい合わせにお祀りされることも好ましくないと云われています。できるだけ避けられた方がよろしいかと思います。ふすまやドア、窓の上、階段やエアコンの下もやめましょう。

以前に高いところが良いと思い、カーテンレールの上や天井裏の物入れに神札を置いている人もいました。会社では空調機の上や棚の上、ロッカーの上においてある所もありました。それはやめましょう。まず、カーテンレールの上ではバランスが悪い、天井裏の物入れは暗くてジミジミしています。そして空調機の上も常に空調が動いています。棚の上も落ち着きません。ロッカーの上もロッカーの開け閉めで落ち着けません。

あなたが神様なら、どんなところが居心地がよいかと判断してみるのもいいでしょう。

「神棚」は見せる効果あり

感性の鋭い人、気を感じやすくわかりやすい人はいます。でも感性が開花していなくて感じにくくなっている人が多いのです。

そんな時、神棚やお札などは目に見えるようにすると、神様仏様のような「目に見えにくい・聞こえにくい存在」が感じられやすくなるものです。意識することで、より明確にとらえやすくなります。そして心で神などを信じ大切にすることができるようになります。

神棚の上には何かあってはいけない

一戸建ての家の場合は、最上階(屋根裏は別です)の、日当たりと風通しのよいさわやかな部屋が理想です。一階では、上の階で人が寝泊りするために神棚の上を歩くことになります。

マンションなどの場合は、上の階にも人が住んでいます。会社も同様です。最上階でもその上には屋上があって誰かが歩いているかもしれません。

そのような場合は神棚の上の天井に「雲」と書いて貼ります。そうすることで、その上の階に実際に人が住んでいても、神棚の上は雲、空であるとします。

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《手順2:神棚を祀る》

神棚があっても、神札があっても、祀らずに手元や家に「あるだけ」では存在するだけです。それ以上のことが起きません。それどころか、あっても放置するなら無視していることになるのでよくありません。

そして、神棚をおくだけでは力を発揮しません。それは家を建てて人が住まないのと同じになります。ただの空き家になってしまいます。神棚には神札をいただきお祀りしましょう。しかし、神札を祀るだけでもダメなのです。神札をお祀りする行為があってこそ神棚として意味を成します。どうすればいいのかなと難しく感じる人もいるでしょう。神棚には、手をあわせるだけでなく、心も向けてください。では、心を向けるとはどうしたらよいでしょうか?

まず、神棚には神様がおられるのだということを意識するところから始めます。ただお札を置く、神様がいる、と意識するだけではいけないのです。

「祀る」行為が必要です。「祀る」とは毎日榊の水を替え、お供えの米、塩、水、酒を取り替えて拝礼することです。そして神棚をこまめに掃除して清潔にするのがよいです。神棚を、皆が集まる「清らかな場所」として下さい。清らかな場所には清らかな心が、心配った場所には心配りのできる心が育ちます。

例えば、神社によって、汚れていたり、汚いところもあるでしょう。そういう所に行くと、寂れている、良くない印象をもつことがありませんか。神様がいる場所はキレイでいるという感覚を、私たちはすでにもっています。キレイな清潔なところで神様は力を発揮できるものです。

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神札のならび方

一般的に多い三社宮の場合を紹介します。

中心に神宮大麻(じんぐうたいま)、右側に氏神神社(あなたが住んでいる地域の氏神神社)左側に祟敬神社(あなたの信仰している神社)の神札をお祀りします。

一社宮の場合は、手前から神宮大麻、氏神、祟敬神社の順にお祀りするのが一般的です。

そして神札が増えていく場合は左側の崇拝神社の場所に重ね置いてください。

初めて神棚をお祀りする場合は、神棚のお清めをしてもらうと良いです。そして家族のご加護と神棚のお祓いをしていただくと丁寧でしょう。

会社では会社の安泰、繁栄と社員のご加護をお祓いしてもらうと良いでしょう。

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神具(神饌)の配置について

神具の最小構成は、神鏡を1個、榊立を1対、瓶子を1対、水玉を1個、お皿2枚を揃えます。

榊は毎月1日と15日に取り替えると良いとされていますが、その期間に枯れてしまったら早めに取り替えましょう。

そしてお供えは毎日取り替えましょう。

また、神饌の供え方の種類も様々ですが、よく行われている配置方法としては、中央に水、奥の両脇にお酒、その手前の左側に米、右側に塩を供えます。

これらの神饌は、三方にのせます。三方とは木製の台です。一般家庭においては、必ず三方にのせなければいけないわけではありません。

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神具と神饌

神具(しんぐ)は神棚の祭祀に用いられる道具・器具をいいます。神饌(しんせん)は神棚に供える供物です。

本来は神棚も神具に含まれますが、ここでは神棚以外の神具や神饌を説明します。

注連縄(しめなわ) : 稲藁で糸の字の象形を成すように編んだ縄に紙垂(しで)をつけた縄をさす。そこが神聖な場所であることを示すための標識として張られます。

神鏡 : 円形の薄い鏡で、一般的には鏡を支える台と共に用いられます。真心を込めて、ご神鏡を通してご挨拶します。決して曇らせたりすることなく気をつけて下さい。

三方 : 神饌や神酒・水のお供えに用いられる台です。

神器 : 神様にお供えする神酒や水や塩のための器です。白色の陶器で作られることが多い。 米・塩-平に広い陶器の皿、神酒-お酒を入れる壷、水-水器などがこれにあたります。

榊立て : 榊をお供えるための白色の陶器製花立。

灯明 : 三本の脚をつけた灯明皿または燭台。

御幣 : 半紙で出来たヒラヒラを竹串にはさんだものです。

祖霊舎(御霊屋・神徒檀) : ご先祖の霊を祀るための祭壇。

霊璽(れいじ):仏教における位牌に相当するもので、故人の霊の依り代。

など用途で様々な神具があります。

一般的に神棚では、米や塩、水、清酒、をお供えします。

時には酒や海藻、野菜、果物などもお供えするとよいでしょう。

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字を見てもわかるとおり、榊は「神」と「木」を合わせた字です。神さまに関わりがある木ということになります。 榊の語源については諸説あり、神さまの聖域と人間世界との「堺」を示すための木、つまり「境の木」→「境木」が転じたという説があります。

「栄木」あるいは神聖な木を意味する「賢木(さかき)」が転じたとする説があります。

榊は紙垂を付けて玉串にしたり、神さまの依代(よりしろ)とします。また神さまの宿る所としての神籬(ひもろぎ)に使われたりしています。

そして一年中常に青々とした緑を保つ枝が使用されることから、神さまの尽きることのない愛や恩恵の証とされました。

神棚の榊は家庭なら家族、会社なら社員を外部からくる気に対して緩和や調和の働きをして守ってくれます。

ところで榊が早く枯れるということがあります。それは外部で何らかの変化が起こっているためです。榊は身を呈して守るためにフル稼働で対処してくれています。

そして榊は神棚の左右に備えますが、それにも意味があります。

向って右側には氏神様が左側には複数の崇拝している神社が祀られています。

右側の榊が枯れるということは、氏神様が活発に働いていただいています。特に早く枯れるようなら、問題ありです。

氏神様が呼んでいる場合があるでしょう。氏神様の元を訪ねて、お参りされるといいです。

左側の榊がかれるなら、崇拝している神社の神様が活発に働いていただいています。特に早く枯れるようなら、同様に問題ありです。

崇拝している神社の神様に呼ばれているかもしれません。神棚が汚れている場合や、神札が汚れている場合もあります。

いつも清潔に、神様のお知らせに心を配りましょう。

そして榊は毎日、水を取り替えます。青々した榊は心を配り神棚を大切に祀っていることにもなります。

神棚の榊が枯れたままでいると神様は働くことができません。神棚の榊を見るだけでこの家はこの会社ではどのように神様が働いているのか、誰もが見てわかるのです。

特に榊が枯れたまま放置している会社では、神様の恩恵も止まったままのところだとわかってしまいます。反対に青々と生き生きしているなら、この会社は勢いがある、良い気が回っていると判断できるのです。

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神鏡

神社には、ご神前に御神鏡があります。神棚にも扉の前に御神鏡を置いています。神棚には御鏡が付き物です。それは、御神鏡を通して神様を拝むからです。

また鏡と対面することによって自分の姿を映し出すからです。映すものが清らかな心で神様と向かっているのか、それとも違う気持ちで向っているのかと自分を見るためです。

わが心を振り返ることは大切なことです。心を正してお参りしようとする心構えをつくるためです。

お給仕

お水やお供えを取り替えることをお給仕するといいます。基本的にはお給仕したりお参りを先頭にするのはその家の長、会社の社長と言えます。一番偉い人といえます。

一番最初に神棚に触れることができるのは一番偉い人ができる特権でもあり、恩恵です。きちんとしている会社では経営者が朝早く出社しています。そこに神棚を大切にする行為があれば良いです。

でも、経営者がお給仕するのも良いですが、神棚のお世話を皆で当番にして行うのも良い方法です。朝礼前にお給仕するのを社員で順番にする会社があります。

それはお給仕する特権や恩恵を皆と分かち合う利点があるからです。最初は嫌がる人もいるでしょう。でも、お供えものを変えたり、お水を変えたりすることで神聖な場所に触れることで気持ちが清清しくなっていくことでしょう。

そして神棚を大切にする心、綺麗は気持ちよいと思えるようになります。少しずつ感謝する心、心を配りたい気持ちが出てきます。

その気持ちをもったまま、仕事に向かい合えます。そして仕事に対する姿勢が経営者も社員も変わってきます。

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直会

直会とは、一般には神事終了後の宴会(打ち上げ)とされます。神霊が召し上がったものを頂くことにより、神霊との結びつきを強くし、神霊の力を分けてもらい、その加護を期待します。

神棚にお供えしたものはお下がりとしてありがたく頂きましょう。

掃除

一般にお正月を迎える前に神棚を大掃除し、神社から頂いた新しい神礼を納めます。

一年に一回ぐらいは大掃除をしましょう。

扉について

普段は閉めています。一般家庭では大掃除や神札の入れ替えの時のみ開けることはありません。

神棚封じ

ご家族が亡くなった場合、死忌にそまっていない他者(第三者)の手で神棚を白紙を貼って封印します。神棚に死忌が及ばないようします。

ご家族の死により、気枯れ(けがれ)が神棚に入り込まないように封印するという意味を持ちます。四十九日あるいは五十日祭を終えて白紙を外すのが一般的です。

この期間は、すべてのお供えや礼拝もひかえましょう。神棚封じを家族の手で行なわないよう第三者にお願いして封印してもらいます。

そして神社での祭典にも参加するのは控えましょう。

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神棚の処分方法

家族や職場など、暮らしを見守って下さった神棚です。最後も感謝の気持ちを込めて処分しましょう。 ゴミと同じように処分することはやめましょう。

神社へご祈祷料を添えてお預けしましょう。そしてお祓い・御霊を抜いていただき、お焚き上げするのがよいでしょう。

また、神棚の他に御札(神札)や神具の場合も同様です。神札については、各神社でお焚き上げが行われています。神社におさめるといです。

そして御札は受けた神社へ納めるのがよろしいですが、遠方の場合は近くの神社でお焚き上げしていただくのもよいです。

《手順3:お参りするときの作法》

神社に行ってお参りする時と同じです。家庭や会社内の小さな神社です。

お参りの作法は、まず拝礼の前には手を洗い口をすすぎます。

そして「二拝二拍手一拝」です。地域によっては「二拝四拍手一拝」もあります。

一般的には「二拝二拍手一拝」でいいでしょう。

ここで大切なのはご挨拶と感謝の気持ちをお伝えするのがよいでしょう。

「ありがとう」という気持ちを持ち神棚に向い伝えましょう。そして、祓詞や神棚拝詞を奏上し、その後に「二拝二拍手一拝」を行うという方法もあります。

1) 軽めの会釈

2) 90度のお辞儀を2回

3) 拍手を2回

4) 90度のお辞儀を1回

5) 軽めの会釈

でも、時には良いばかりの気持ちではないこともあります。そのマイナスの心に引きずられるとさらにマイナスの深みにはまってしまいます。さらに呼び寄せることもあります。それではどんどん悪いことばかり起きてしまいます。

神棚に向う時はマイナスの心を捨てプラスに切り替わる瞬間なのです。そのチャンスを生かし、マイナスの気を寄せつけず、プラスの気に変えるのが感謝することなのです。

「ありがとう」と感謝する心を持とうとする気持ちが、さらなるプラスに変わることにつながります。

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《祝詞》

祝詞とは、神事の行事で神主が神前で唱える言葉のことをいいます。日本人は古くから、言葉には魂があるとされる「言霊」を信じてきました。

神さまに感謝の気持ちを伝えたり、願いごとをする時、「言霊」を意識し心を込めて読み上げるというのが、祝詞の意味です。

また祝詞を声に出して読むことを奏上といいます。奏上することで、一層のご加護があるとされています。

そして祝詞は言霊の持つ力が重要です。一言一句を大事にしながら、丁寧に読みあげることは大切なことです。また、発音や奏上のリズムも重要な項目です。

祝詞の代表的なものに、大祓詞、神棚拝詞、神社拝詞、略拝詞などがあります。

《祓詞》

最初によみあげ、祓い清める。清める対象は個人です。

『古事記』や『日本書紀』の伝える神話によると、いざなぎの神は妻のいざなみの神とともにこの国土を生み、神々を生みました。ところが最後に火神を生むことによって妻のいざなみの神は亡くなってしまいます。いざなぎの神は妻の死を悲しんで黄泉国まで追いかけて行きますが、妻を呼び戻すことができませんでした。

そして死者の国へ行ってたいへんに穢れて帰ってきます。そこで筑紫の日向のたちばなの小戸のあはぎ原というところで、海水をあびて禊を行ったと伝えます。

そのときにたくさんの祓戸の神々が誕生していますが、「その神々の力によってさまざまの罪や穢を祓い清めて下さいとお恐れ謹んで申し上げます、」という意味のことを唱えるわけです。

つまり、祓詞を唱えるということは、いざなぎの神が禊を行ったときに生まれた祓戸の神々の力が発動されて、罪や穢を祓い清めていただくわけです。

《大祓い》

大祓祝詞は「 国民レベルの罪や穢れ、悪事や災難や疫病などを取り除いてください、清めるために力を貸してください」と神様に対して奏上する祝詞と、そして神様に使える神官たちに対して命じる言葉が一緒になったものです。

作者は中臣氏の祖先、天児屋根命の作ともいわれていますが不明です。

大祓とは一般の祓(はらえ)と違い、国家全体の災難や罪・ケガレを取り除くための神事です。

たとえば伝染病が流行したり天皇が崩御されたりすると大祓が行なわれてきたのですが、恒例としては年2回、6月と12月の末日に奏上されたのです。1300年前(奈良時代より前)にはすでに国家行事として大祓があったと言われています。

神棚での挨拶の言葉

「祓詞」を唱えて身を清めます。そして「神棚拝詞」を唱えます。

※「祓詞」は「大祓詞」を簡略化したものなので「大祓詞」を唱えても良いです。

神社で祈祷する時に、お祓いを受けることがあります。その時に「祓詞」を唱えていただけます。

それは、心身のけがれを祓い清めるものです。神棚をお参りする時には「祓詞」を唱えるとさらに良いでしょう。今ある不浄をキレイにしリセットするようなものです。新たな気持ちで一日を迎えることができます。

祓詞(はらえことば)

かけまくもかしこきいざなぎのおほかみつくしのひむかのをどのあはぎはらに

掛巻も恐き伊邪那岐の大神筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に

みそぎはらひしときになりませるはらひどのおほかみたち

御禊祓ひたまひし時に生り坐せる祓戸の大神たち

かむながらなるおほみちのなかにうまれてありながらそのみかげをしふかくおもはずて

惟神なる大道の中に生まれて在りながら其御蔭をし深く思はずて

すめかみたちのみめぐみをおほろかにおもひたりしときにあやまちをかせるはさらなり

皇神たちの御恵みを太呂加に思ひたりし時に過ち犯せるは更なり

いまもつみけがれあらむをばはらひたまひきよめたまへとまをすことを

今も罪穢有らむをば祓ひたまひ清め給へと白すことを

やほよろづのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみもまをす

八百萬の神たち共に聞食せと恐み恐みも白す

祓詞の意味:

伊邪那岐神は、黄泉国(死者の住む国)へ行って、汚れたため阿波岐原という浜辺で禊(みそぎ)を致しました。その時、たくさんの神々が誕生になりました。この神々を祓戸大神と申しますが、その神徳によって私たちの犯した罪や心身のけがれを祓い清めて下さい

神棚拝詞
これのかむどこにますかけまくもかしこきあまてらすおほみかみうぶすなのおほかみたちの
此の神床に坐す掛も畏き天照大御神産土大神等の


おほまえををろがみまつりてかしこみかしこみもまをさくおほがみたちの
大前を拝み奉て恐み恐みも白さく大神等の


ひろきあつきみめぐみをかたじけなみまつりたかきたときみをしへのまにまに
廣き厚き御恵を辱み奉高き尊き神教のまにまに


なほきただしきまごころもちてまことのみちにたがふことなくおひもつわざに
直き正しき眞心もちて誠の道に違ふことなく負ひ持つ業に


はげましめたまひいえかどたかくみすこやかによのためひとのために
勵ましめ給ひ家門高く身健かに世のため人のために


つくさしめたまへとかしこみかしこみまをす
盡しめ給へと恐み恐みも白す

神殿拝詞の意味:
神殿にまつわる天照大御神や産土大神等に神々の教えのままに、人の道を踏みはずすことなく、自分の従事する仕事に励み、家族が健康で、世のため人のために尽くすことができますように

《手順4:神棚との向き合い方》

神棚に祈ることで心が落ち着き、家庭も安定へ、会社は難を避け良き道へと発展していきます。「大難を小難に小難を無難に」ということわざもあるように問題を小さくしてくれます。

開運するには福を寄せること、また禍(わざわい)を切るものがあります。多くの人は福を寄せることを意識してしまいます。

でも本当は、禍(わざわい)を切ってから福を寄せた方が効果的です。禍(わざわい)を無くせば、問題や足をひっぱるものはなく自然に開運していくものです。

そして今、開運が来ていない、手ごたえがないという人は禍(わざわい)が邪魔をしているのかもしれません。

事故に巻き込まれ、無事に怪我することなく助かったという例があります。その場合は事故にあったけど、被害で言うなら車、もしくは自転車などでしょう。身体にはかすり傷一つ無かったことがあります。

本来なら大怪我をしているか、命を失ってもおかしくありません。

避けられない難であったとしても、被害が最小限で済むのが「大難は小難に」ということです。

常日頃、お参りをしていればこんなこともあるのです。

大切なのは「もっと大きな禍があったかもしれない、これで済んで良かった」と感謝するのがよいのです。

そして自分と向き合う時間、アイデア、ヒントが出る時間にもなるでしょう。神棚は家、店舗。会社の御守として、また自らの心のよりどころになります。

祈りと志

神社に行くと「金運がよくなりますように」「素敵な彼女(彼氏)ができますように」「成績があがりますように」とお願いしている姿を見ます。

たまにいく参拝でお賽銭を投げ入れ、お願い事の数々です。めったに来ないのに、来たと思ったら、お願いや頼みごとばかりかと神様も呆れてしまうかもしれません。

例えば、人との付き合いではどうでしょう。たまにしか会わないような付き合いの浅い人に、会ったそうそう、お願い事をするでしょうか。いいえ、それは常識的とは言えません。

それも相手が崇拝する神様ならどうでしょうか。大切にしなければ大切にしてもらえません。

それは因果応報といえます。因果応報とは人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということです。お願い事は欲でもあります。欲は欲で返ってきます。感謝するなら、感謝されることでしょう。

このように初詣や特に何かあった時にだけ、私たちは願いを込めて祈ったり、祈るような気持ちで願ったりするわけです。

でも、「願い」と「祈り」は本来、まったく違うものです。願いが人の「思い」を表し、祈りは「行為」そのものです。

そして人が神さまとコミュニケーションすることは「祈る」ことなのです。

例えば食事の前に「いただきます」を言います。それは祈りです。

命をいただくことへの感謝の言葉です。そして料理を作ってくれた人と会話をするように、こうして今日も食事の機会を与えて下さった神さまへの感謝の気持ちを思い伝える行為を祈るといいます。それは「感謝の思い」と「行為」がなくては「祈り」とは言えないことなのです。

さらに祈りには「志」や「天命」がなくては神様には届きません。自分ひとりの欲ではなく誰かのために願う心が必要です。家庭円満も家族のために皆が円満に暮らせるように思う心です。自分1人の為ではなく、人のために社会のための祈りなら神様は叶えようとします。

では会社なら商売繁盛や経営が上手くいくようにという願いがあるでしょう。

「金儲け」や欲に絡んだものや自分ひとりの欲のための願いは神様には届くのは難しいのです。

商売繁盛や社運隆昌には志や天命があれば良いのです。商売や経営について、何を祈ってもいいのです。人のため社会のために商売繁盛したいという志があれば叶いやすくなるものです。

それは神様の叶えたいものが志や天命を持つ祈りだからです。私たちも自分のためだけにがんばっている人よりも、人のため、誰かのためにがんばっている人の方がより力を貸したい応援したいと思うのでしょう。

祈る心は明るく楽しく

祈ることは暗く悲痛な感じでするものではなく、明るく楽しくするのが良いです。

天の岩戸伝説があります。天照大神が岩戸に隠れてしまって世界は瞬く間に真っ暗に包まれてしまいました。すると、禍いがどんどん起きてきました。

困った八百万の神々は一同集まって、どうすればいいのか、相談をするのでした。そして、天照大神さまを外に誘い出すようにしたことは祝宴にも似たどんちゃん騒ぎを繰り広げることでした。

岩戸の中に籠っていた天照大神さまは外の騒がしさに、耳を立て、外のことが気になり始めました。あまりに楽しそうだからと洞窟から出てきてしまいました。

また天照大神さまを外に出そうと八百万の神々は必死になって考えたでしょう。そして明るく楽しい思考から、良いアイデアが出て実行に移しました。

その結果、天照大神が出て光が戻ったのです。

このように笑いや明るさのなかにこそ神様は現われます。明るいと楽しさも生れます。そしてポジティブな思考となり、良いアイデアも出たり力もみなぎってくることでしょう。

祈りを共有する

個人の祈りがいくら強くてもそれは一人の祈りです。祈りが、1人ではなくて家族の祈りとなるなら家族共有の祈りになります。家族の絆が一層強いものになります。

そして祈りの形が家庭内にあることが大切です。それは家庭の中に共通の「祈りの心」があることです。家族全員があり難さを感じることのできる形をつくると神棚には大きな力が出てきます。

家族みんなが祈りを共有したとき、その祈りはもっと大きな祈りになります。そして会社なら共有できる社員が多ければ多いほど大きな祈りとなります。

小さな祈りから大きな祈りへ

個人の祈りは小さな祈りです。でも、小さな祈りが、共有することで大きな祈りと変わります。個人の祈りはどんなに強くても「小さな祈り」です。

そして個人の祈りは、自分勝手な祈り、わがままな祈りになるかもしれません。でも、共有することで、祈りは「大きな祈り」の中に吸収されます。

そして自分勝手やわがままさも消し去ります。

礼に始まり礼に終わる

祈りには形があります。

「かたち」というのはただの形式に過ぎないと思われる人もいるでしょう。

武道では剣道や空手や柔道や弓道や相撲などでも、「礼に始まり礼に終わる」と言います。礼は心を形に表したものです。またこの形によって心が表されると同時に、それが力や技の源にもなります。祈りもまた、形から産み出される祈りの力があることでしょう。

では礼とは何なのかと言うと儒教の孔子の教えがあります。

孔子は、人の道には「仁」と「礼」があります。

「仁」とは人と人との間に自然に現れる親愛の情のことです。孔子の思想の中核をなす概念です。具体的には,まごころと思いやりからくる、ありがとうと感謝する心や尊敬の心です。そしてわがままを抑える心をいいます。

「礼」とは仁を形に表すこと、実際に「ありがとう」と伝えたり、自分から積極的に仁を行動に移すことです。

孔子によれば,仁の実践は身近な親・兄弟に対する尊敬・親愛の情を出発点としています。そして仁の心は家族や先生など身近なところからしか仁と礼が一致せねばなりません。また、仁と礼はどちらかだけでは意味がない得られないとも孔子は伝えています。

すなわち武道が「礼に始まり礼に終わる」ことは、まず仁の心を持ち感じるところから始まります。

そして武道とは武を極める道ではなく、武を通して人間として成長することを目的としています。

武道を通して、技術や体力をつけることで自信を育てます。「お願いします!」と始まり、「ありがとうございました!」と終えることで仁の心と礼の使い方を知ります。

《最後に》

あなたは1日に何回「ありがとう」と言葉に出していますか。

いつもの習慣で「ありがとう」と言葉だけを話している人もいるでしょう。まったく言っていない人もいるかもしれません。でも「ありがとう」と言われると、相手はうれしく思うものです。ましてや真心がこもった「ありがとう」と言われたなら、何ともいえない温かい気持ちになります。それはあなたの真心が伝わるからです。

では、「ありがとう」と言った方はどうかというと、やはり「ありがたい」気持ちになります。それは真心を持ち、相手に伝えることで自分自身も温かい気持ちに包まれるからです。それほど感謝する心を持った「ありがとう」は幸せになる言葉なのです。

その幸せな言葉を、神棚の神様に向けて伝えられるのは、素晴らしいことです。相手はあなたを守ろうとしている神様です。その神様に真心をもって感謝できたなら、あなたは何倍もの「ありがたいもの」を受け取れます。感謝できる心を持つと、守られていることに気がつき、さらに感謝できることでしょう。

そしてその心は常に安定した温かい心を育みます。やる気を持ち、がんばろうと、何かしたい、挑戦したい、と前向きな心です。明るく生きる強い心となるでしょう。それはストレスに負けない心です。

家なら家族の皆が同じような気持ちになれます。

会社なら社員の皆が同じ気持ちになるように繋がってくれることでしょう。

「ありがとう」という習慣を身につけるだけで人は変わってきます。

神棚があることで、誰もがいつも真心をもって感謝できます。あり難い物を受け取り、さらに感謝できます。

心から「ありがとう」、「こちらこそ」と感謝の言葉をかけあえる関係を育むことにつながります。

2011年3月11日、東日本大震災が起りました。すべての日本人にとって衝撃でした。突然起った地震による大津波、福島県の原子力発電所の爆発等の事故がありました。震災によって失われた多くの命、町や村や家も車も人生そのものが何もかも飲み込んでいかれました。

そして多くの人々があの日の惨状を目の当たりにしました。遭遇したり、目撃したりした人もいるでしょう。そして報道であの日の惨状を知った人もいました。

私もあの映像を何回も見ました。何ともいえない気持ちでテレビの前で震えていました。深い悲しみや苦しみが、同じ日本のどこかであるなんて、不思議な気持ちでした。あの映像や報道を通して、命の尊さや死を認識する経験を誰もがしたことでしょう。

その一方で、命のありがたみを感じた人がたくさんいると思います。いつもの朝を向かえ、家族がいて、仕事や学校にいくというような当たり前の生活が一瞬で当たり前ではなくなりました。いつもの当たり前の生活が当たり前ではなくなることがあるのです。当たり前だったはずなのに、生きることができなかった人がたくさんいました。当たり前の生活が送れない人もたくさんいました。

私達の日常は当たり前ではありません。多くの人が今ある当たり前の日常を感謝したことでしょう。私たちにできることは、命ある限り毎日に感謝して、与えられた命を一生懸命に生きることなのです。

命があるだけでも、日常の生活を送れるだけでも、すでに「ありがたい」ことです。それだけでも感謝する心が出てくるものです。

だからこそ、神棚では感謝することが大切なのです。生きていることがありがたい。家族がいてありがたい。仕事ができてありがたい。会社があってありがたい。もうすでにありがたいことだらけです。

神棚を祀る理由には何があるのでしょう。

家庭では家内安全、身体健康、夫婦円満、学力向上など家族のために祈れます。会社では社運隆盛、事業成功、売上向上、商売繁盛、従業員安泰など会社のため従業員のために祈ることができます。

でも、最も重要なのは、神様に向かい合えることです。これは神様がその場にいないと向かい合うことすらできません。神棚がある事は、向かい合えるチャンスに恵まれます。

そして、神様と面と向かい合えたなら、一番大切にしてほしいのは感謝することです。

人間同士の関係においても、いきなりお願い事や頼み事をするのはマナー違反ですよね。やはり常日頃、感謝している関係であれば、お願い事や頼み事も引き受けたいと思うのではないでしょうか。

そして、感謝とは「ありがとうございます」と伝えることです。それはただ「ありがたい」と感謝できる真心を言葉で表すのが「ありがとう」なのです。

神様には、ただの「ありがとう」でもなく、お願いをする場所でもないのです。まずはありがたい気持ちの「ありがとう」をしましょう。もしお願いをするなら感謝した後に伝えると良いですね。

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